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2009年1月30日

【十一】三島へ続く石畳 其の三 小枯木坂・山中新田編

大枯木坂から国道1号に出ました。

国道1号
国道1号

少し行くと三島市の標識が見えました。
箱根峠から函南町と三島市の境界を歩いてきましたが、
この先は完全に三島市に入ります。

三島市
三島市

大枯木坂の出口から200m、左に下りていく階段があります。
小枯木坂の始まりです。

小枯木坂の入り口
小枯木坂の入り口

ここから山中新田の集落まで願合寺地区の石畳が続いています。
1972年にこのうちの255m、1995年に188mを修復、
多くの石が失われていた残りの部分にも石を補充して、
全長721mの石畳の道で江戸時代の姿を再現しています。

小枯木坂の石畳と杉並木
小枯木坂の石畳と杉並木

小枯木坂に入ってすぐ、大きな石が横に並んだ部分があります。
一本杉石橋です。
この下に石を積んで作った水路があり、この大きな石が橋になっています。
箱根西坂にはこのような石橋が全部で9箇所ありましたが、
現在見られるのはここと村上石橋の2箇所だけです。

一本杉石橋
一本杉石橋

石畳の終わりに雲助徳利の墓があります。
杯と徳利の下に「久四郎」という名が刻まれています。

杉の大木の前に雲助徳利の墓
杉の大木の前に雲助徳利の墓

西国大名の剣道指南役だった松谷久四郎は、
大酒飲みのために事件を起こして国を追われ、箱根の雲助になりました。
剣の達人で読み書きもできるため雲助仲間から頼りにされていましたが、
酒の飲み過ぎで命を縮めてしまいました。
これがその久四郎の墓と伝えられています。

雲助徳利の墓
雲助徳利の墓

初めは石原坂の手前、山中新田の一里塚の辺りにあったのが、
酒飲みの墓なので、いつの間にかふらふらとここまで来てしまったのだとか。

この近くに村上石橋があるはずですが見落としました。
ここで石畳は終わりですが、石畳風の歩道が30m続き、
その先で国道1号に出ます。

小枯木坂から国道1号への出口
歩道橋右下が小枯木坂から国道1号への出口。国道は手前が京都方面。

ここは山中新田の集落です。
少しの間集落の中を進みます。

山中新田の集落
山中新田の集落

国道1号は250m先で左に曲がりますが旧東海道はそのまままっすぐ進みます。
この少し手前に、石原坂の念仏石の所で名前が出た宗閑寺があります。

国道は左へ。旧東海道は直進
国道は左へ。旧東海道は直進。

国道から分かれた道は石畳風の舗装が100m程続きます。

石畳風の舗装
石畳風の舗装

その先で、先程の国道1号が左からやって来ます。
自動車が通る国道1号は勾配を緩くするため蛇行していますが、
旧東海道はこうしてショートカットしています。
国道を渡ると山中城跡があります。

国道を渡ると山中城跡
国道を渡ると山中城跡

山中城は後北条氏の小田原防衛の拠点でしたが、
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で落城しました。
現在は国の史跡に指定され、公園として開放されています。

旧東海道から山中城跡へと続く階段
旧東海道から山中城跡へと続く階段

寄っていきたいのですが、三島に夕方までに着きたいのでまたにします。

この山中城跡のところから上長坂が始まります。
ここから350m先まで続く腰巻地区の石畳は1994年に整備されました。
このうち江戸時代の石畳がよく残っていたのは60m程で、
残りの部分は新たに石を補充して往時の姿を再現しています。
ここも願合寺地区同様両側に杉が植えられています。

山中城跡を過ぎた辺りの上長坂
山中城跡を過ぎた辺りの上長坂

石畳が終わり、道は一旦国道1号に合流します。
しかし、上長坂はこの先まだまだ続きます。

石畳の終わりから箱根方面を振り返る
石畳の終わりから箱根方面を振り返る

2009年1月30日 08:34 | カテゴリー:東海道スタンプラリー