« 【十一】三島へ続く石畳 其の一 兜石坂編 | メイン | 【十一】三島へ続く石畳 其の三 小枯木坂・山中新田編 »

2009年1月29日

【十一】三島へ続く石畳 其の二 石原坂・大枯木坂編

接待茶屋バス停前 山道の入り口
接待茶屋バス停前 山道の入り口

接待茶屋バス停のそばで国道1号を離れ、また山道に入ります。
ここに山中新田の一里塚があるはずなのですが、
いったいどこにあるやらわかりませんでした。
後で調べてみると、どうやらこの道の入り口左にある、
函南町接待茶屋と書かれた道標の後ろにあったようです。

道標の後ろが一里塚
道標の後ろが一里塚

そのすぐ先に徳川有徳公遺跡碑があります。
徳川有徳とは徳川吉宗のことで、
吉宗の法号(戒名)有徳院殿贈正一位大相国から来ています。
通常は「有徳院」とするはずで、
「徳川有徳」とする物は他に見たことがありません。

徳川有徳公遺跡碑
徳川有徳公遺跡碑

享保元(1716)年、紀州藩主から征夷大将軍になるべく江戸へ向かう吉宗は、
石割坂にあった茶店で休憩しました。
その際、茶店の主人が馬の世話をよくした事に吉宗が喜び、
永楽銭を与えました。
以後、紀州藩主は参勤交代の際この茶店で休み、
代金を永楽銭で支払うようになったと伝えられています。
また、その頃からこの茶店を「永楽茶屋」と呼ぶようになったそうです。

以上は2007年4月1日発行の「広報みしま」に書かれている事です。
しかし、永楽銭(永楽通宝)は
慶長13(1608)年に通用禁止になっていますから、
なぜここで永楽銭が出てくるのか、その理由を知りたいところです。

そして徳川有徳公遺跡碑の向かいには、兜石坂から移動された兜石があります。

兜石
兜石

兜を伏せたような形であること、
また、豊臣秀吉が小田原征伐の時、
休憩の際に兜を脱いでここに載せたと伝えられていることから
兜石と呼ばれています。
しかし、小田原征伐は天下統一に向けての最後の戦です。
一兵卒の頃ならともかく、既に大軍を率いる指揮官になっていた秀吉が
脱いだ兜をこんな所へひょいと置くとは考えにくいです。

では、山道を進みましょう。50m程行くと分岐点があります。

施行平への分岐点
施行平への分岐点

ここを右へ行くと施行平(せぎょうだいら)です。
とても景色がいいらしいのですが、夕方までに三島に着きたいので
またの機会にして先へ進みます。
旧東海道は左です。
この辺りからの坂が石原坂(いしわらさか)です。
資料によっては、途中で2つに分けて箱根方を石荒坂、三島方を石原坂、
或いは箱根方を石割坂、三島方を石原坂、合わせて石荒坂とされています。
先程の永楽茶屋があった場所について、
三島市の広報には「石割坂」と書かれていました。
どれも同じような名前なので、
時代の流れと共にだんだんあやふやになったのでしょう。

この辺りも左の函南町側だけ笹が密集して生えています。

左側に笹
左側に笹

石原坂を少し進むと笹藪の中に入っていく道がありました。

笹藪の中に入る道
笹藪の中に入る道

藪の中には「明治天皇御小休阯」と刻まれた石碑がありました。
明治元(1868)年、東京へ向かう明治天皇が休憩した場所で、
当時は「ビンカの茶屋」という茶屋があったそうです。
今は何もありません。(笹はいっぱいありますけど)

明治天皇御小休阯の碑
明治天皇御小休阯の碑

暫く行くと、念仏石という大きな石がありました。

念仏石
念仏石

大きな石の手前に「南無阿弥陀仏 宗閑寺」と刻まれた石があります。
この先にある宗閑寺というお寺で
行き倒れの人々を供養して石碑を建てたらしいのですが、
そばにある解説板にも詳しい事は書かれておらず、
なぜこの場所を選んだのかはわかりません。

この辺りもずっと石畳が続いています。
左の函南町側は相変わらず笹藪です。右の三島市側は檜でしょうか。

念仏石付近の道
念仏石付近の道

石原坂に入って700m程で、急に視界が開けます。

石原坂の終わり
石原坂の終わり

ここで石原坂は終わりです。このすぐ下を国道1号が通っています。
その先はすぐ大枯木坂です。再び森の中へ入っていきます。

再び森の中へ
再び森の中へ

森に入るとすぐ分岐です。旧東海道は左です。
この辺りはまた杉が植えられています。

また分岐
また分岐

ほんの2~3分歩いたらまたすぐに視界が開けました。

また視界が開ける
また視界が開ける

草に埋もれていますがここも石畳があります。
よく見ると、この辺りの石畳はへりがまっすぐに揃えられています。

へりが揃えられた石畳
へりが揃えられた石畳

大枯木坂に入って400m程で民家の庭先に出ます。

坂の先に民家が見える
坂の先に民家が見える

その先の小枯木坂までの200mは道がなくなっているので、
左に曲がって国道に出ます。

箱根旧街道迂回路の道標
民家の庭先に出た所にある道標。
左の「山中城跡」の所に箱根旧街道迂回路と書かれています。

国道に出て大枯木坂は終わりです。
次の小枯木坂までちょっとだけ国道1号を歩きます。

大枯木坂から国道1号へ
大枯木坂から国道1号へ

2009年1月29日 12:57 | カテゴリー:東海道スタンプラリー