« 2008年11月 | メイン | 2009年1月 »

2008年12月 7日

【補遺】生麦と鴨宮

ある夏の日の朝、私は横浜に行く用事があったのですが、
用事は朝のうちに済んでしまい、
9時半過ぎには何もやることが無くなってしまいました。
そこで、東海道スタンプラリーで失敗した部分の
やり直しをすることにしました。

まずは、神奈川宿の手前で違う道を歩いてしまった部分を歩き直すため、
電車を乗り継いでJR鶴見線国道駅へ向かいました。

旧東海道は川崎市から横浜市鶴見区へ入ると、
京急鶴見駅の下から鶴見銀座というあんまり銀座っぽくない商店街を抜け、
下野谷町入口という交差点に出ます。
交差する道は国道15号です。

下野谷町入口交差点
下野谷町入口交差点

川崎から神奈川まで歩いた日は、
ここを右に曲がって国道15号を進んでしまいました。
その時の記事はこちら。
【三】横浜に呑まれた神奈川 前編
ここは国道を横切って直進するのが正しい道です。

旧東海道は正面の赤信号の所へ入って行く。右は国道15号横浜駅方面。
旧東海道は正面の赤信号の所へ入って行く。右は国道15号横浜駅方面。

下野谷町入口交差点を直進すると道はすぐ右にカーブし、
国道15号と鶴見川の間を進みます。
この道が「生麦魚河岸通り」です。
すぐに鶴見線の国道駅の所で線路をくぐります。

生麦魚河岸通り。上の線路はJR鶴見線。
生麦魚河岸通り。上の線路はJR鶴見線。

国道駅は国道15号と旧東海道に跨るように設置され、
高架下が2本の道を結ぶトンネルのようになっています。

国道駅の高架下の通路。奥が旧東海道側。
国道駅の高架下の通路。奥が旧東海道側。

魚河岸通り沿いには魚屋さんがたくさんあります。
芙蓉が咲いています。夏の花です。

魚河岸通りの芙蓉
魚河岸通りの芙蓉

国道駅から1km進むと広い道と交差します。
この道は「東京都道・神奈川県道6号東京大師横浜線」と言いますが、
長いので「産業道路」と呼ばれています。
東京都大田区から始まり、この交差点を右へ200m進んだ所で
国道15号にぶつかって終わります。
その先、キリンビールの工場を左に見ながら500m余り行くと
生麦一丁目交差点で旧東海道も国道15号に合流します。

生麦一丁目交差点。前方に貨物線が見える。
生麦一丁目交差点。前方に貨物線が見える。

交差点の前方にJRの貨物線、通称高島線が見えます。
この線路は京浜東北線(東海道本線)の鶴見駅から
みなとみらい21地区の北にある東高島という貨物駅を通り、
根岸線の桜木町駅に通じています。
鶴見の先は二手に分かれ、一方は南武線経由で鶴見線に、
もう一方は品川-鶴見間の貨物線、通称品鶴線につながっています。
また、桜木町から先は根岸線経由で再び東海道本線に合流します。
貨物は乗り換えができないので、列車が縦横無尽に走れるようになっています。

交差点のすぐそばに生麦事件の碑があります。

生麦事件の碑
生麦事件の碑

イギリス人貿易商チャールス・リチャードソンは
馬で東海道を通行中に騎乗のまま島津久光の行列に乗り入れてしまい、
その場で無礼打ちにされます。
重傷を負ったリチャードソンはその場から逃げますが、
670m程逃げた所で落馬し、追って来た薩摩藩士にとどめを刺されました。
碑があるのはリチャードソンが絶命した場所で、
初めに斬られた場所は産業道路との交差点から200m余り国道駅寄りの所です。

私が訪れた時は8月21日に追悼記念祭を行うという張り紙がありましたが、
毎年やっているかは不明です。
なお、事件があったのは旧暦の文久2年8月21日で、
新暦では1862年9月14日になります。

この先は既に正しい道を歩いているので、
国道15号を少し戻って生麦駅から京急に乗り、横浜でJRに乗り換えました。
二宮と国府津で撮りそびれた写真を撮った後、鴨宮で下車。
小田原鴨宮郵便局へ向かいました。
ここは旧東海道から離れていますが、
旧東海道に因んだ風景印があると聞いたので行ってみることにしました。

小田原鴨宮郵便局
小田原鴨宮郵便局

小田原鴨宮郵便局の風景印
小田原鴨宮郵便局の風景印

今回はかもめ~る(無地)を使用しました。
風景印の図案は、左上に東海道五十三次のイメージと箱根の山々、
右上に新幹線電車、左下にだるま(オーディナリー型)自転車です。
2000年10月1日から使われているそうです。

この図案に使われている新幹線電車は、先頃引退した0系です。
私にとっても、東京と愛知県の豊橋の間を行き来するのに何度も乗った
思い出深い車輌です。

駅から郵便局までの道に、
「新幹線発祥の地」と書かれた小さな旗がたくさん掲げられていました。

「新幹線発祥の地」の旗
「新幹線発祥の地」の旗

昭和初期には東京-下関間に高速鉄道を建設する構想があり、
1939年頃から「弾丸列車計画」として具体化していきました。
これは既存の東海道・山陽本線に並行する形で高速列車対応の新線を建設し、
東京-大阪間を4時間半、東京-下関間を9時間で結ぶという計画でした。
当時鉄道省内部では既に「新幹線」という言葉が使われていたといいます。

弾丸列車計画は太平洋戦争の戦局悪化のため1943年に中止されますが、
それまでに取得した用地や完成したトンネルは
戦後の新幹線に活用されました。

新幹線建設の際、まずは取得済みの用地のうち、
綾瀬市南部から小田原市鴨宮まで約32kmの線路を先行して完成させ、
ここをモデル線として1962年からテスト走行を始めました。
そして、モデル線が既存の東海道本線と接近する鴨宮は、
テスト走行の拠点とされ車両基地が設けられました。

1964年に東海道新幹線が開業する際、モデル線はその路線の一部になり、
また車両基地は線路のメンテナンス基地になりました。
そして1974年には、当時の国鉄により新幹線発祥の地の碑が建てられました。

ところで、自転車はなぜ入っているのでしょう。

風景印をもらった後、今度は電車に乗らず、国道1号まで歩きました。
そして、小田原宿の手前で道を間違えた部分の歩き直しをしました。
酒匂川を渡った先の、ほんの200m程です。
これで歩き直しは完了。バスで小田原駅へ向かいました。

帰りは町田まで小田急ロマンスカーに乗りました。
運良く展望席が取れたのですが、いざ乗ってみると私の席に先客がいました。
相手は外国人で、隣に連れがいるので席を替わって欲しいと
英語で言っています。

その人の本来の席を見ると、展望席ではない普通の席です。
私はわざわざ展望席を選んで切符を買ったのでお断りすることにしましたが、
聞いてわかる外国語も話すとなるとなかなか難しいものです。
是非ともこちらの事情を説明したいのですが、
英語で何と言ったらいいのか私にはわかりません。

結局、こちらの立場を日本語で二度主張したら相手が諦めました。
融通の利かない奴になってしまいましたね。
当然の権利を行使しただけなのに、
何だか日本の印象を悪くしてしまったようで後味が悪いです。
もっとも、英語が通じなかったと思われただけかも知れませんが。

14:44 | カテゴリー:東海道スタンプラリー

2008年12月 2日

【十】箱根アタック 其の八 箱根峠編

箱根宿を出て箱根峠を目指します。
標高725mの箱根宿から846mの箱根峠まで、あと121m登らなければなりません。
ここからまた山道が始まります。
坂の入り口には石仏が並んでいます。

箱根峠への道の始まり
箱根峠への道の始まり

まずは向坂(むこうさか)です。
江戸時代の杉並木と石畳が残っています。

向坂
向坂

うぐいすのさえずりが聞こえました。

うぐいすの姿も見えたのですが、暗くて撮れませんでした。

次は赤石坂です。国道1号をくぐります。
立体交差ですが国道1号との行き来も可能です。

国道1号と交差する赤石坂
国道1号と交差する赤石坂

続いて釜石坂です。両側に笹が生い茂っています。

釜石坂
釜石坂

今度は風越坂です。引き続き杉と笹と石畳です。

風越坂
風越坂

見事な杉の巨木がありました。

杉の巨木
杉の巨木

この太さは確実に樹齢300年を超えています。
間違いなく江戸時代からある木です。

杉の巨木の根元
杉の巨木の根元

そして挟石坂です。
とても急な坂で、現在はここだけ階段になっています。

挟石坂
挟石坂

上から見た挟石坂
上から見た挟石坂

箱根宿の京方見附から約600m、石畳の坂を抜けるとまた国道1号に出ます。
ここは箱根峠インターチェンジの近くで、
旧東海道から出て来た所がちょうど
国道1号下り線から箱根新道への分岐点です。

国道1号から箱根新道への入り口
国道1号から箱根新道への入り口

ここで箱根新道への道を横断して、国道1号を京都方面へ歩きます。
歩道が無いので自動車専用道路のように見えますが、
道交法上は歩いても問題ありません。
(箱根新道は歩行者進入禁止です)
ただし、車が高速でビュンビュン通過します。
今日は霧が出ているので、真っ白い視界に突然車が現れます。

霧の国道1号
霧の国道1号

国道1号上り線から箱根新道へのアプローチをくぐると、
今度は箱根新道から国道1号への出口があります。
1つの出口から国道1号の東京・大阪両方面へ行けます。

箱根新道出口付近。右は国道1号。
箱根新道出口付近。右は国道1号。

箱根新道からの出口を過ぎるとすぐに左へ分岐する上り坂があります。
箱根くらかけゴルフ場の看板が出ています。
旧東海道はこの坂を上ります。

左に分岐する坂道
左に分岐する坂道。背後に箱根新道からの出口があります。

私がこの坂を上り始めた時、
箱根新道から飛び出してきた飲料メーカーのトラックが
猛スピードで坂を駆け上がって行きました。

この坂を120m程上ると道が左右に分かれます。
旧東海道は右。左はゴルフ場です。

旧東海道は右。左は箱根くらかけゴルフ場。
旧東海道は右。左は箱根くらかけゴルフ場。

分岐点を過ぎると下り坂になります。
前方に箱根峠交差点が見えてきました。

前方に箱根峠交差点
前方に箱根峠交差点

この箱根峠交差点の50m程手前が神奈川県と静岡県の境界です。

神奈川県はここまで。そして関東地方もここまで。
神奈川県はここまで。そして関東地方もここまで。

ここで箱根町のみならず神奈川県、そして関東地方も終わりです。
江戸時代の国名で言うと、相模国から伊豆国に入ります。
日本橋から100km。休み休みとはいえ、まあよく歩いたものです。
でもまだ全体の5分の1ですけどね。

08:31 | カテゴリー:東海道スタンプラリー

2008年12月 1日

【十】箱根アタック 其の七 箱根宿編

芦ノ湖の畔に出ると、正面に遊覧船乗り場があります。
芦ノ湖の遊覧船は、伊豆箱根鉄道(西武系)が運航する芦ノ湖遊覧船と、
箱根観光船(小田急系)が運航する箱根海賊船があります。
旧東海道が湖畔に出た所にあるのは箱根海賊船の乗り場です。

手前は箱根海賊船「フロンティア」、奥は芦ノ湖遊覧船「第二こま」。
手前は箱根海賊船「フロンティア」、奥は芦ノ湖遊覧船「第二こま」。

箱根海賊船は現在バーサ、ロワイヤル、ビクトリー、フロンティアの
4隻が就航しています。
このうちフロンティアは19世紀にアメリカの河川で使われた蒸気船を、
他の3隻は17~18世紀のヨーロッパの軍艦をデザインモチーフにしています。
それがなぜ「海賊船」と銘打っているのかは謎です。

なお、フロンティアは2009年春に引退するそうです。

海賊船乗り場の前から芦ノ湖畔の国道1号を進みます。
ここも立派な杉並木です。

芦ノ湖畔の杉並木
芦ノ湖畔の杉並木

海賊船乗り場から200m余り、
歩道橋に「沼津27km 三島20km」の標識が掲げられています。
これは国道経由の距離で、旧街道は三島まで15kmくらいです。
その分坂がきついということですね。

遊歩道入り口の所にある歩道橋
遊歩道入り口の所にある歩道橋

この歩道橋の所から旧東海道は国道1号と並行する遊歩道になっています。
この遊歩道の入り口に
江戸から24里(94.2km)の一里塚があるのですが見落としました。

国道1号と並行する杉並木
国道1号と並行する杉並木

箱根八里の歌にも登場する杉並木は、もちろん江戸時代からありました。
今歩いている箱根宿手前と、この先箱根宿を出た辺りは、
江戸時代からずっと残されている杉並木です。
遊歩道は500m程続き、また国道1号に戻ります。

遊歩道の終わり
遊歩道の終わり

特に案内はありませんが、この遊歩道の終点あたりが
箱根宿江戸方見附があった場所のようです。
旧東海道はここで国道と交差して関所へ向います。
しかし、国道を渡った先は現在神奈川県立恩賜箱根公園の駐車場になっており、
ここから140m程、道がありません。

この先駐車場
この先駐車場

国道1号を渡り、駐車場の外側を歩いていきます。
駐車場を通り過ぎると、道が2本あります。
右は箱根関所資料館、左は関所の江戸口御門に続いています。
左の道を行きましょう。

関所への道
関所への道

駐車場から150m程で関所です。
それでは通関です。

箱根関所江戸口御門
箱根関所江戸口御門

ちょっとカメラ確認させてくださいね。
あー、だめですよこんなの撮っちゃ。橋も港も撮影禁止ですよ。
あれ、この本は何ですか。
蟹工船‥‥
ちょっとこっちへ来てください。別室でお話があります。

困るんだよねーこういうの。あっちこっち写真撮っちゃってさぁ。
何が目的なの。こういうの漏れたら大変な事になるんだよ。

愛知県東部の方言である三河弁は非常にのんびりした言葉なのですが、
関東の人が聞くと怒っているように聞こえることがあるそうです。
今回も三河弁で暢気に受け答えしていたら勘違いされたようです。
怒っていないのに怒っていると思われるのは非常に不快です。
結果的にはその事が原因で本当に怒ってしまうので、
やっぱり怒っているじゃないかと言われるのがさらに不快です。
いつの間にか係員と怒鳴り合いの喧嘩になっていました。
そこへ、騒ぎに気付いた別の係員がやって来て言いました。

明治2年に関所は廃止になったから今は特に問題ないよ。

箱根関所京口御門
箱根関所京口御門

そういうことです。

関所を出て、土産物屋が並ぶ道を100m程進むと国道1号に突き当たります。
左が東京方面、右が目指す京都方面です。

国道1号に突き当たる
国道1号に突き当たる

国道1号に入ると道は暫くまっすぐです。
国道を京都に向かって160m程進むと、左側に箱根町郵便局があります。
宿場町に因んだ和風の局舎です。
ここでお目当ての風景印を押してもらいます。

箱根町郵便局
箱根町郵便局

箱根町郵便局の風景印
箱根町郵便局の風景印

箱根町郵便局の風景印は芦ノ湖と富士山です。
切手は「神奈川県の花」のあじさいです。
背景に芦ノ湖と富士山が描かれていますが、
梅雨時に咲くあじさいと富士山が同時に見られたら幸運ですね。

箱根宿が1618年に芦川宿を拡張する形で設置されたことは既に述べましたが、
その際、新たな集落を作るべく小田原、三島両宿から住民が移住しています。
国道1号に出てからこの郵便局の辺りまでは、
小田原宿からの移住者が住んでいた地域です。

厳しい残暑の中(途中から小雨)、小田原から歩いてきたこの日は、
ここで一旦終わりにして帰宅しました。
続きは晩秋の11月上旬なので、この先急に秋の風景になります。

箱根町郵便局から200m程行くと箱根関所南交差点です。
ここで左から、神奈川県道75号湯河原箱根仙石原線、
通称「椿ロード」が合流します。
湯河原から大観山を越えて来た道です。
ここから今歩いてきた関所方面が国道1号との重複区間で、
海賊船乗り場の先にある大芝交差点で国道と分かれて仙石原へ通じています。
この箱根関所南交差点の所に駅伝広場があり、石碑が設置されています。
ここは東京箱根間往復大学駅伝競走、通称箱根駅伝の、
往路ゴール、復路スタート地点の近くです。

駅伝広場の石碑
駅伝広場の石碑

この辺りまで来ると観光客相手の店は少なく、住宅街の様相を呈しています。
郵便局を過ぎてからこの辺りまでが、
三島宿からの移住者が住んでいた地域です。
箱根関所南交差点から160m先の交差点で旧東海道は右に曲がり、
国道1号を離れます。

県道737号分岐点
県道737号分起点

ここは神奈川県道737号長尾芦川線の終点です。
県道737号は芦ノ湖の北の仙石原から芦ノ湖西岸を通り、
芦ノ湖の南にあるここ芦川に至る道です。
ここから少しの間県道737号を進みます。道の両側は住宅地です。
この辺りが箱根宿設置前に芦川宿があった地域です。
この先箱根西坂を歩くにあたり、駒形神社で道中の無事を祈願しました。
県道737号に入って170m程の所にあります。

駒形神社
駒形神社

駒形神社の先30mの所で県道は右にカーブしており、
そこから左に細い道が分かれています。
ここで箱根宿は終わりで、左の細い道が旧東海道です。

この辺りに箱根宿京方見附があった
この辺りに箱根宿京方見附があった

では、国境の箱根峠を目指しましょう。

06:43 | カテゴリー:東海道スタンプラリー