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2006年1月21日

0と1の間に

世の中にデジカメが普及してもずっとフィルム撮りのカメラを使っていた私ですが、
ビデオカメラを買ってからは写真もそれで撮るようになり、
いつの間にかフィルムを使わなくなっていました。

去年の5月、旧古河庭園のライトアップを撮影するために
久し振りにフィルムを使いました。
僅か1時間半の撮影でしたが、ずいぶん疲れました。
一体何にエネルギーを使っているのでしょう。

今年の正月、横浜で船の写真を撮りました。
気が向いたので、またフィルムを使ってみる事にしました。
一人でただ船を撮るだけでしたが、いつになく楽しい撮影でした。
デジカメでここまで楽しめないのはなぜでしょう。

以前私は、写真を撮る時、うまく撮れたかどうかは
シャッターボタンを押す時の抵抗でわかりました。
ボタンの動きが重く感じる時は成功です。
その事自体はきっと気のせいでしょう。
しかし、そう感じていたのは事実で、潜在意識が何かを捉えていたのだと思います。

私自身、決してデジカメを嫌っているわけではありません。
「その場の画像を記録する装置」としては非常に優れているとさえ思います。
しかし、「写真による表現に快楽を求める人種」の立場からは
フィルム撮りのカメラと比べると明らかに何かが欠落しています。
ただ、その欠落している「何か」は、恐らく潜在意識で捉えるものなのでしょう。
残念ながら説明不能。そこが歯痒いのです。

そこで、こう説明することにしました。

デジタル技術は全ての物事を0と1で処理します。
この世界は、0と1の間が多くの物で満たされていますが、
人は0と1の間にあるものを見る事ができないので問題ありません。

しかし、実は見えなくても感じる事ができるのです。
それを感じた時、人は感動します。

「アーティスト」は0と1の間にあるものを見ることができます。
だから、人を感動させることができる反面、
普通の人から見ると「変な人」に見えるのです。

どうです。20年前にCDによってアナログディスクが淘汰された時の事も
これで説明できるでしょ。

2006年1月21日 23:38 | カテゴリー:よしなしごと