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2009年8月 1日

【十三】富士のお山に原の白隠 後編

白隠禅師誕生地のそば、
原交番東交差点の所にある原町歩道橋に上がってみました。

原町歩道橋から愛鷹山を望む
原町歩道橋から愛鷹山を望む

今日は好天に恵まれ、愛鷹山がよく見えます。
雲の向こうには富士山があるはずです。本当にそこ以外は雲一つありません。
これはきっと、今朝素通りした沼津の浅間神社による嫌がらせでしょう。
沼津の手前、三島駅の新幹線ホームからは見えましたからね。

原宿にも浅間神社があります。原交番のすぐ先です。
江戸時代、浅間神社前には高札場がありました。

原の浅間神社
原の浅間神社

富士山見えないからいいや。(そういう問題か)

浅間神社の斜向かいには問屋場跡がありますが、標柱だけです。
その少し先には本陣跡がありますが、現在は普通の民家です。

浅間神社から約400mの駅入口交差点を左に曲がり、
少し行くと東海道本線の原駅があります。

原駅
原駅

なまこ壁を模した和風の駅舎です。まだ松の内なので門松があります。
1889年(明治22年)、横浜から徐々に延びてきた鉄道路線が
この地を通り抜けて静岡に到達しました。
原駅が開業したのはそれから11年が過ぎた1900年(明治33年)です。
この駅があるおかげで現代人は手軽に原宿を訪れることができます。
葬儀で松蔭寺にお参りできなくても、富士山が雲に隠れても、
「また来ればいいや」と思うことができます。
江戸時代は東海道を旅するなど一生に一度という人も多かったでしょう。
駿河まで来て富士山が見えなかったらそれでおしまいです。

さて、東海道に戻りましょう。
駅入口交差点から100m程行くと、高嶋酒造という造り酒屋があります。
この斜向かいあたりに原宿西木戸跡の標柱があるらしいのですが見逃しました。

原宿西木戸跡付近
原宿西木戸跡付近。左の建物が高嶋酒造。

高嶋酒造の建物の脇に回ると、蛇口が2つ付いた流しがあります。
流しのそばに立て札があり、「富士山の霊水」と書かれています。
地下145.5mから自噴する井戸で、富士山の伏流水だそうです。
高嶋酒造のお酒「白隠正宗」にも使われるこの水を自由に汲むことができます。
まあ、どうせ素人にはわからない程度の微妙な違いなのでしょうが‥‥

富士山の霊水
高嶋酒造裏の流し。富士山の霊水を汲むことができる。

ごめんなさい。全然違います。空のペットボトルでも持って来ればよかったです。
蛇口の脇に注意事項が書かれた張り紙があるのですが、
あろうことかこの水で洗車をする輩もいるようです。

原宿を出て暫くは一本道、しかもずっとまっすぐです。
150m程行くと、原小前というバス停があります。
そばの路地を入ると沼津市立原小学校の脇に出ます。

原小前バス停
原小前バス停

ロシア語でハラショー(харашо)は「良い」という意味です。
原小学校に用事はありませんが、良い事を求めてそちらの方に行きます。
原小の脇の道に入って最初の角を曲がると、その先に沼津西添郵便局があります。
今回はここで風景印を押してもらいます。

沼津西添郵便局
沼津西添郵便局

沼津西添郵便局の風景印
沼津西添郵便局の風景印

沼津西添郵便局の風景印は「白隠禅師画像、摺鉢の松、富士山」です。
摺鉢の松とは松蔭寺にある樹齢300年の松の木で、
その名の通り摺り鉢が被せられています。
なんでも枝だか幹だかが折れてしまったのを保護するため
白隠禅師が摺り鉢を被せておいたところ、
松脂で鉢がくっついてそのまま成長したのだとか。
白隠が生きた18世紀前半から近年まで
200年以上も風雪に耐えた(この辺り雪はほとんど降らないか)摺り鉢は、
現在は取り外されて保管され、代わりに別の鉢が被せられているそうです。

切手は平成13年国際文通週間の原です。

では、東海道に戻りましょう。
原小前バス停から300m進むと道幅が広くなります。
ここはかつて松並木がありましたが、
松が枯れてしまってその分今は道幅が広くなっているのだそうです。
ここからすこしの間幅の広い道が続きます。

松並木の分道幅が広くなっている
松並木の分道幅が広くなっている

元松並木の始まりから約650mの所に一里塚跡があります。
日本橋から32里(125.7km)です。
現在は上方に向かって左の民家の前に標柱があるのみですが、
道の反対側に道祖神がありました。

一里塚跡の道祖神
一里塚跡の道祖神

一里塚から2kmくらい歩いたでしょうか。桃里という所で右側の視界が開けました。

沼津市桃里から見た富士山
沼津市桃里から見た富士山。手前の山裾は愛鷹山。

富士山のてっぺんだけ見えます。
「駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠」
と言いますが、今回は
「駿河にて過ぎたるものが二つあり‥‥」
ですね。

原宿西木戸跡から3.5kmの所に東海道本線の植田踏切があります。
旧東海道はここを渡ります。

植田踏切
植田踏切

恐らく元は真っ直ぐな道だったのでしょうが、
線路を渡るために踏切の所でクランク状に曲がっています。
踏切を過ぎて250mの所で沼津市は終わりです。

沼津市はここまで
沼津市はここまで

市内の歩行距離は14.2kmでした。
京都までの道のりの4分の1をようやく消化しました。

2009年8月 1日 06:01 | カテゴリー:東海道スタンプラリー