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2009年2月 3日

【十一】三島へ続く石畳 其の七 愛宕坂・県道22号編

初音ヶ原石畳遊歩道が終わると、そこは五本松交差点です。
このまま国道1号を進んでも三島市街の南へ出ますが、
三島宿へはここから右脇へ入る遊歩道を進みます。

五本松交差点から右の遊歩道へ
五本松交差点から右の遊歩道へ

初音ヶ原石畳遊歩と共にここも石畳風です。
初音ヶ原は平らな石を敷いていましたが、ここはごつごつしています。

石畳風遊歩道
石畳風遊歩道

遊歩道の右側は花壇になっています。
俳句の世界では、「花壇」は秋の季語らしいです。
春ではないんですね。
花壇の右から車道が遊歩道に近付いてきます。

遊歩道脇の花壇
遊歩道脇の花壇

やがて遊歩道は右から来た車道と合流し、急な下り坂になります。
ここが愛宕坂です。
1680年に箱根の石畳が整備された際にはここも石畳になりました。
道路脇の解説板によると、1769年に
この愛宕坂のうち長さ140m、幅3.6mを修理したという記録があるそうです。
現在は遊歩道からの続きで途中まで石畳風になっていますが、
舗装の下には江戸時代の石畳が埋まっているそうです。
ここは車も通るので江戸時代の状態には復元できないのでしょう。

愛宕坂
愛宕坂。途中まで石畳風。

坂道を300m程下りていくと東海道本線の踏切があります。
箱根東坂の手前、三枚橋以来久し振りの線路です。
この踏切、「旧東海道踏切」という名前です。

旧東海道踏切
旧東海道踏切。電車は313系の普通列車熱海行き。

踏切からさらに150m程の所にある愛宕橋からは
晴れていれば富士山が見えますが、
当日は曇っていたため見えませんでした。
下を流れる山田川は山中城跡の北から旧東海道の北側を流れ、
この先で大場川に合流、
最終的には沼津市街を流れる狩野川につながっています。

愛宕橋
愛宕橋(後日撮影)

愛宕橋の70m先で左から来る道と合流します。静岡県道22号三島富士線です。
ここから南東300mの所で国道1号から分岐して来ました。

県道22号に合流
県道22号に合流

愛宕橋から400m、新町橋で大場川を渡ればようやく三島宿です。

新町橋
新町橋

もちろん晴れていればここからも富士山が見えます。

新町橋から見た富士山
新町橋から見た富士山(後日撮影)

江戸時代、新町橋の袂では晒し首が行われていました。
今は供養のための地蔵尊があります。

無縁法界地蔵尊
無縁法界地蔵尊

県道22号を進むと、町が次第に賑やかになっていきます。
そして、新町橋から600m、歌川広重の絵にも登場する三嶋大社があります。

三嶋大社
三嶋大社

ここを過ぎると町はさらに賑やかになります。
三嶋大社から250m、三島市役所別館1階に三島中央町郵便局があります。
今回はここで風景印を押してもらいます。

三島中央町郵便局
三島中央町郵便局

三島中央町郵便局の風景印
三島中央町郵便局の風景印

三島中央町郵便局の風景印は富士山、湧水、宿場の灯籠です。
切手は、ここを歩く1箇月前に発売された平成20年国際文通週間の三島です。

時刻は2時半。予定よりかなり早いです。もう1つ行きましょう。
ここから南へ900m行くと三島郵便局があります。

三島郵便局
三島郵便局

三島郵便局の風景印
三島郵便局の風景印

三島郵便局の風景印は
史跡楽寿園の小浜池と楽寿館と農兵節の踊りと富士山の遠望です。
今回はかもめ~る(野良時計)を使用しました。

さて、無事三島に着いたし、実はカメラの電池も切れたので、
これで終わりにして一旦帰宅。
三島宿の出口はもう少し先ですが、続きは後日です。

2009年2月 3日 16:59 | カテゴリー:東海道スタンプラリー