« 星の時間 人の時間 | メイン | 【番外】ガラスの二宮 後編 »

2008年8月13日

【番外】ガラスの二宮 前編

大磯町を過ぎると、次は二宮町です。

これより二宮町
大磯町の次は二宮町。松並木の中にアジサイが咲いています。

二宮町に入るとすぐに、郵便マークの付いた大きな建物が見えました。
二宮郵便局です。
ここは宿場町ではないので予定外ですが、折角なので寄って行きましょう。

二宮郵便局
二宮郵便局

二宮郵便局の風景印
二宮郵便局の風景印

二宮郵便局の風景印は、二宮駅前にあるガラスのうさぎの像です。
今回はかもめ~る(あさがお)を使用しました。

二宮町に入ってから郵便局まで300m。
そこから650m先の交差点を右に曲がると、JRの二宮駅です。

二宮駅
二宮駅

人口約3万人、これといった産業もない二宮町で
「ガラスのうさぎ」は唯一全国的に知られているものと言えるでしょう。
この作品は過去何回か映像化されていますが、
1980年8月から9月にかけてNHKの銀河テレビ小説で放映された時は
私も見ていました。
その中で1つ、よく覚えている場面があります。

戦争も次第に敗色が漂い始めた昭和18年。
女の子用の下着類も入手困難になり、物語の主人公敏子は、
兄のお下がりのランニングシャツを着なければならなくなりました。
しかし、小学5年生の女の子がそれをそのまま着るのは恥ずかしいので、
左胸に小さな花の刺繍をして、少しでも女の子らしくなるよう工夫しました。

ところが、学校で体育の時間に着替えをしている時、
この非常時に花など刺繍して恥ずかしくないのか、今すぐほどきなさいと
担任の先生から大きな声で叱られます。
敏子は泣きながら震える手で刺繍をほどこうとするのですが、
急げば急ぐほどうまくほどけず、
結局刺繍をした部分をそっくり切り抜いてしまいます。

原作では刺繍の部分を切り抜いた所でこの場の事は終わり、
放課後母親が先生に呼び出される話に移るのですが、
ドラマでは、ほどけと言ったのになぜ布地ごと切り抜いたのだと
もう一度先生に叱られます。

私はこの場面は覚えていたものの、他の場面はほぼ全て記憶になく、
それどころかこれが
「ガラスのうさぎ」の一場面だという事まで忘れていました。

この場面は原作の最初の章に書かれています。
全体から見れば、話の本題に入る前に、
当時の社会情勢を説明するために語られたエピソードに過ぎません。
それをはっきり覚えているのは、
当時私がこの場面を非常に腹立たしい思いで見ていたからです。

改めて原作を見てみると、この最初の章は、
「ちいさな事件ではない」と題されています。
ドラマの放映当時小学4年生だった私には、
小学生同士、直感的に理解できるものがあったのかもしれません。

戦争文学というものは、こうして事実を伝えてくれれば十分です。
何が正しいとか間違っているとか、余計なことは言わなくても
答は自明です。

しかし残念ながら、このような戦争の悲惨さを伝える作品は、
戦争に対する抑止力としてはほとんど効果がありません。
なぜなら、実際に戦争を始めるか否かを決める立場にある人たちは、
戦争が始まっても悲惨さとは直接関わらずに生活できるからです。
屠殺場を覗かなければ肉を食べられるとか、
殺処分施設を見なければ犬や猫を平気で捨てられるとか、
そういうのと似ていますね。

以前、ある政治家が若者を対象に講演を行った際、
戦術核兵器の保有や使用は憲法違反ではないというような事を言ったそうです。
しかし、違憲か合憲かはさておき、専守防衛の日本の自衛隊で、
一体この人は核兵器を何に使う気でいたのでしょうか。

核兵器は基本的には抑止力として使う兵器です。
日本が戦術核兵器を持った場合、主な標的となるのはやはりあの国でしょう。
しかし、あの国に核爆弾を撃ち込もうものなら、
隣接する2つの国が黙っているはずもなく、結局使えません。
核なんか持っていてもどうせ使えないだろうと、
あの国からなめられるのが関の山です。
それなら通常兵器を配備した方がよっぽど抑止力になります。

冷戦時代、アメリカは核兵器のハッタリ効果を「核の傘」と称していましたが、
実際は戦略核兵器の恐怖の陰で通常兵器による小規模の戦闘が続き、
戦術核兵器は結局十分に効果を発揮できませんでした。
そんな使えない物を今から持ってどうするのか。
昭和ノスタルジーで核兵器など持たないで頂きたい。

件の政治家は、後にしきりに北朝鮮の拉致問題を取り上げていました。
もちろんそれは重要な問題ですが、どうもこの人が動くと、
核武装の口実となる仮想敵国が欲しいのではないかと邪推してしまいます。
もし本当にそうだとしたら、我々はとんだ食わせ者を
国のトップに祭り上げてしまっていたことになります。
「愛国心」とか「改憲」とか、決しておかしな言葉ではないのに、
この人が言うと妙にきな臭く感じられましたから、
ある日突然勝手に辞めてくれてほっとしました。

さて、ガラスのうさぎから随分と話が飛んでしまいました。
そもそも敏子がお下がりのランニングシャツにに刺繍をしたのも
二宮ではなく東京にいた時の話です。
そろそろ東海道の旅に戻りましょう。

2008年8月13日 12:42 | カテゴリー:東海道スタンプラリー