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2008年5月29日

【五】戸塚の長い坂道 後編

戸塚宿に着きました。

吉田大橋
吉田大橋

今はファミレスになっている江戸方見附から400m、
柏尾川に架かる橋が、広重の浮世絵にも登場する吉田大橋です。
大橋と言っても長さは50m程。現在の橋は1986年に架けられました。

横から見た吉田大橋
横から見た吉田大橋

吉田大橋の袂にある広重の浮世絵
吉田大橋の袂にある広重の浮世絵。中央の道標が妙秀寺に現存しています。

橋の袂の説明板に広重の絵がありました。
この絵にある「左りかまくら道」と書かれた道標が
近くの妙秀寺で保存されています。
もちろん行ったのですが、お葬式の準備中だったので
見ないで戻ってきてしまいました。

戸塚駅付近の旧東海道沿いには、
トミーテックの街並みコレクションにありそうな素敵な建物が
いくつもありました。

旧東海道戸塚宿内の古い建物

旧東海道戸塚宿内の古い建物

旧東海道戸塚宿内の古い建物

吉田大橋から600m、戸塚駅のすぐ脇に、
先程のワンマン道路建設のきっかけを作った「開かずの踏切」があります。
そして、そこから300m、戸塚駅西口の旧東海道沿いに戸塚郵便局があります。
今回はここで風景印を押してもらいます。

戸塚郵便局
戸塚郵便局

戸塚郵便局の風景印
戸塚郵便局の風景印

戸塚郵便局の風景印は
「国道1号線に残る戸塚宿の松並木とお軽勘平記念碑と富士山」です。
切手は「東京の四季の花・木II」のサクラです。
戸塚区の花がサクラなのでこの切手を選びました。

大坂下
大坂下交差点

本陣跡、富塚八幡を通り過ぎつつ市街地を1km程進むと
大坂下という交差点があります。
この少し手前に上方見附があるはずですが見落としました。
ここで戸塚宿はおしまいです。
ここから大坂が始まります。上り坂が1km以上続きます。

坂を上り始めてすぐ庚申塔がありました。

戸塚の庚申塔
戸塚の庚申塔

謡曲「鉢の木」では、鎌倉幕府の御家人佐野源左衛門が、
貧乏で馬に十分なえさを与えられず、
この大坂を通る際に馬が2回も転びます。
会社から通勤用のガソリン代が支給される今のサラリーマンと違って
昔の人は大変だったんですね。

大坂下交差点から約900mの所で、戸塚宿手前の不動坂交差点で分岐した
横浜新道戸塚支線、通称ワンマン道路と合流します。
その少し先に、戸塚郵便局の風景印にも描かれた
お軽勘平戸塚山中道行の場の碑があります。
仮名手本忠臣蔵の四段目と五段目の間の所作事、
「道行旅路の花聟」通称「お軽勘平」の舞台に建てられた碑です。

お軽勘平戸塚山中道行の場の碑
お軽勘平戸塚山中道行の場の碑

江戸時代、現代劇の上演は基本的に禁止でした。
しかも忠臣蔵は、赤穂藩取りつぶしに対して不満を言う、
幕府に対して批判的な内容です。
そのままでは上演できません。
そこで室町時代の恋愛の話に置き換えられたのがこの「お軽勘平」です。
初演は1833年です。

現代人の私から見ると江戸時代は何かと窮屈な時代に思えますが、
170年後の人々は今の我々の事をどう思うのでしょう。
案外、後期高齢者医療制度の事など知って、
「えーっ、平成時代の政治ってそんなむちゃくちゃだったの?
当時の庶民は良く生きていられたね」なんて思うのかもしれません。

原宿一里塚跡
原宿一里塚跡

さらに2km弱進むと、原宿の一里塚跡があります。
塚自体は残っていません。
そこから2km、藤沢バイパス出口交差点で国道1号と別れ、
ここから分岐する県道30号戸塚茅ヶ崎線に入ります。

横浜市の終わり
横浜市の終わり

県道を300m程進むと、広い横浜市もそこで終わり。
横浜市内の歩行距離は約28kmでした。
ここから藤沢市に入ります。藤沢宿は目前です。

2008年5月29日 06:12 | カテゴリー:東海道スタンプラリー