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2009年6月28日

【十二】いにしえの沼津を石で辿る 中編

黄瀬川橋で黄瀬川を渡って沼津市に入りました。

黄瀬川橋を渡って振り返る
黄瀬川橋を渡って振り返る

黄瀬川橋から300m程の所に傍示石があります。
「従是西 沼津領」と刻まれ、ここから先が沼津藩の領地である事を示しています。

傍示石
傍示石

江戸時代の初め、沼津には大久保忠佐が支配する沼津藩がありましたが、
慶長18(1613)年に忠佐が死去すると、その後は藩主を継ぐ者が居らず、
幕府領になっていました。
時代が下って安永6(1777)年、
三河国大浜藩主だった水野忠友が沼津に国替えとなり、
以後江戸時代の終わりまでこの地は沼津藩となっていました。
ここ黄瀬川右岸には1778年に傍示杭が立てられましたが、そばにある解説板に、
「傍示杭はその後石製の物に作り替えられ何度か小移転されたが‥‥」
とあります。初めは木製だったのでしょうか。
また、元の位置は現在より数十メートル三島寄りだったようです。

三島広小路駅から3.3km続いた県道145号は、
傍示石の先の東下石田交差点で静岡県道380号富士清水線に合流します。

東下石田交差点
東下石田交差点。左が沼津市街方面。

県道380号に入って600m程進むと、駿府へ十五里と書かれた道標がありました。

駿府へ十五里
駿府へ十五里

日本橋からから府中宿まで44里26町ですから、ここまでが29里26町とすると、
清水町の伏見一里塚から26町、約2.8kmということになります。
後で確認したら2.4km、22町くらいだったので、だいたい合っていますね。
このそばにある解説板によると、この近辺と、先程の傍示石付近にも
江戸時代には松並木があったようです。
道標のすぐ先で左方向に細い道が分かれています。
旧東海道はその細い道です。ここで一旦県道380号から離れます。

県道380号から離れる
県道380号から離れる

広重の沼津の絵には川沿いの道が描かれています。
どうやらこの辺りを描いたものらしく、道の左側に狩野川があるはずなのですが、
高い堤防に遮られて見えません。

この道の先にある狩野川は堤防に遮られて見えない
この道の先にある狩野川は堤防に遮られて見えない

1958年9月26日、台風22号が伊豆半島をかすめ関東地方に上陸しました。
狩野川流域で死者・行方不明者1000名を超える大きな被害が出たため、
この台風は狩野川台風と呼ばれています。
水害のことを考えたら風景についての不満など言っていられません。

県道380号を離れてから約600mの所に沼津一里塚があります。

沼津一里塚
沼津一里塚

本来は日本橋から30里(117.8km)ですが、実は少し日本橋寄りにずれています。
正確に30里の位置に設置すると沼津の宿内になってしまうため、
少し手前で、日枝神社旧参道脇のこの場所に設置したと言われているそうです。
どの程度ずれているかはわかりませんが、
ここから沼津宿の入口までは400mくらいです。
上方に向かって右側の塚のみ残っており、榎が植えられていますが、
元の榎は終戦直後に枯死してしまい、新たに植えられました。

一里塚のそばには玉砥石があります。
今から1200~1300年前、玉類を磨く砥石として使われたと考えられています。

玉砥石
玉砥石

狩野川対岸の香貫地区で玉の加工が行われていたとする説があるものの、
今の所決定的な証拠は見つかっていないそうです。

一里塚から200m程で県道380号に戻ります。
この辺りでは「旧国一通り」または単に「旧国一」と呼ばれているようです。

県道380号に戻る
県道380号に戻る

このすぐ先で沼津宿に入りますが、特に目印はありません。
県道380号に戻って500m、国道414号と交差した先で県道が少し右に曲がります。

沼津市街に入った県道380号
沼津市街に入った県道380号

江戸時代はこの正面に沼津城があり、東海道は左へ迂回していました。
現在その道筋は川廓(かわぐるわ)通りとして残されています。

左の細い道が川廓通り
左の細い道が川廓通り

ちなみに三島広小路駅の所から続いていた県道上の路面電車は、
このまま県道380号を進み、
すぐ先の大手町交差点で右折して沼津駅前へ行っていました。

川廓通りは、昭和30年代まで残っていたとされる
石畳をイメージした舗装になっています。
左側は狩野川ですが、堤防に遮られて見えません。
川廓通りに入って150m程行くと、頭上をあゆみ橋が跨いでいます。
あゆみ橋は中央公園と狩野川対岸を結ぶ人道橋で、
川廓通りからも上がることができます。

あゆみ橋
あゆみ橋

あゆみ橋の袂、今歩いて来た川廓通りから見ると右上に中央公園があります。
ここは沼津城の本丸跡です。

中央公園
中央公園。右奥があゆみ橋。

沼津城は安永6(1777)年、
水野忠友が三河国大浜から国替の際に築城されました。
慶応4(1868)年、水野氏が上総国菊間へ国替になった後、
城の建物は沼津兵学校の施設として使われました。
兵学校は明治5(1872)年に東京へ移転し、後に建物は取り壊されました。
通常城跡といえば石垣ぐらいは残っているものですが、
ここはほぼ何も残っていません。

川廓通りに戻って東海道の続きを歩きましょう。
あゆみ橋から100m程で川廓通りはさんさん通りに突き当たって終わります。

川廓通りの終わり
川廓通りの終わり

旧東海道はここを左ですが、その前にちょっと右の方を見てみます。

沼津城大手門跡
沼津城大手門跡

この辺りが沼津城の大手門跡です。
今は大手町という町名に名残を留めるのみです。
さんさん通りをこのまま右の方へ進むと沼津駅です。
では、東海道に戻りましょう。

2009年6月28日 08:28 | カテゴリー:東海道スタンプラリー