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2008年6月 1日

【番外】茅ヶ崎の左に富士は見えるか

国道1号に戻って間もなく茅ヶ崎市に入りました。
ここは東海道本線辻堂駅の北800m程の場所です。

これより茅ヶ崎市
茅ヶ崎市に入ります。松並木です。

時折緩い曲線を描いて長く続く道は、
車道が2車線、車道と分離された歩道、街路樹という構成です。
規模は大きすぎず小さすぎず、まさに現代の街道といった風情です。
茅ヶ崎市に入ってすぐに高い松の木がありました。

高い松の木
茅ヶ崎市の入口にある高い松の木

藤沢宿と平塚宿の間には、
四ツ谷、牡丹餅、南湖(なんご)、八幡の4つの立場がありました。
四ツ谷はもう過ぎてしまいましたが、
藤沢市内のちょうど国道1号に戻った辺りです。
牡丹餅と南湖は茅ヶ崎市内です。
八幡はよくわからないのですが、今の平塚駅の近くではないかと思います。

大乗仏教の経典の一つである華厳経に、
善財童子が文殊菩薩の命により53人の師を経て
普賢菩薩の所で悟りを開いたという一節があります。
一説によると、東海道の宿場の数はこれに因んで53箇所にしたのだとか。
となると、必ずしも宿場の配置が
実際の交通事情に合致しない所もあったことでしょう。

宮-桑名間の海上七里を除くと、東海道の宿場間の平均距離は8.8kmですが、
実際は最長が小田原-箱根間の16.5km、最短は御油-赤坂間の1.7kmで、
かなりばらつきがあります。
また、平坦な道もあれば急坂の続く難所もあります。
そんな事情から、宿場間には立場や間の宿が設けられることが多々あります。

ところが、立場や間の宿には、
旅行者の宿泊禁止などの厳しい制限がありました。
宿場町を保護するためです。
宿場は道中奉行の管轄です。
道中奉行は大目付や勘定奉行が兼任したので、
宿場町の保護にはひょっとして利権が絡んでいたのでしょうか。
だとすると現代における道路族みたいなものですね。
この先通る予定の菊川は、元は宿場町だったのが
徳川家康による宿駅整備の際に間の宿に降格されています。
不運ですね。

藤沢-平塚間は13.7kmで、日本橋から箱根までの間では、
小田原-箱根間16.5km、大磯-小田原間15.6kmに次ぐ3番目に長い距離です。
速い人でも2時間半はかかる距離ですから立場が発展したのでしょう。

茅ヶ崎で見かけたハーフティンバーの建物
茅ヶ崎で見かけたハーフティンバーの建物。
写真にはありませんが奥にもう1棟建っています。

本村というバス停の所に素敵なハーフティンバーの建物がありました。
飲食店でしょうか。

茅ヶ崎一里塚
茅ヶ崎一里塚

茅ヶ崎市に入ってから歩くこと3.6km、
サティの前を通り過ぎ、茅ヶ崎駅に近付くと、道の左側に一里塚があります。
日本橋から14里、約55kmです。

茅ヶ崎で見かけた花
茅ヶ崎で見かけた花

ここでも春の花が咲いています。

一里塚から、茅ヶ崎駅北口の賑わいを通り抜けて1.3km、
茅ヶ崎茶屋町郵便局があります。
ここに東海道の名所に因んだ風景印があるので押してもらいます。

茅ヶ崎茶屋町郵便局
茅ヶ崎茶屋町郵便局

茅ヶ崎茶屋町郵便局の風景印
茅ヶ崎茶屋町郵便局の風景印

茅ヶ崎茶屋町郵便局の風景印は
富士山の遠望、鳥井戸橋、南湖の左富士の碑です。
今回は通常はがき(スズメ)を使用しました。
実は歌川広重は南湖の左富士も描いているのですが、
茅ヶ崎は宿場町ではないので東海道五十三次の作品群に含まれず、
今回使用している東京国立博物館の絵はがきにも残念ながら入っていません。

茅ヶ崎茶屋町郵便局の先で道は大きく右に曲がり、
その後400m程北西に進みます。
この辺りがかつて立場があった南湖です。
南湖付近では上方に向かって左に富士山が見えます。
これが南湖の左富士です。
このような場所はここ南湖と吉原の2箇所だけです。
現在は沿道に建物が並び富士山が見えにくくなりましたが、
幸い東西方向に流れる千ノ川を渡るので、
ここに架かる鳥井戸橋の上で西側の視界が開け、
天候によっては富士山が見えます。

鳥井戸橋
鳥井戸橋

南湖の左富士の碑
南湖の左富士の碑。鳥井戸橋の袂にあります。

石原橋から富士(の方向)を望む
石原橋から富士(の方向)を望む

これは鳥井戸橋のすぐ西側に架かる石原橋から西の方を見たところです。
今日は見えません。
なお、石原橋を通る道は「左富士通り」と命名されています。

その先で道は左に曲がり、再び西へ向かいます。
そこから300m、小出川を渡る手前に旧相模川橋脚があります。

旧相模川橋脚
旧相模川橋脚

現在相模川はここから1.5km程西を流れていますが、
鎌倉時代は河口を数本持ち、その本流がこの辺りを流れていたそうです。
1923年の関東大震災の際、地下にあった7本の柱が地上に出現。
調査の結果1198年にここに架けられた橋の橋脚と判明しました。
しかし、何だか様子が変です。近付いてよく見てみましょう。

近くで見た旧相模川橋脚
近くで見た旧相模川橋脚

あの、これ木じゃないみたいなんですけど‥‥。

近くにある説明板を読んだら、これはレプリカでした。
本物は朽ちないようにこの下に埋めてしまったそうです。
できれば掘り出して博物館に展示して欲しかったのですが、
そんな事をする場所も予算も無いのかもしれません。

茅ヶ崎の出口の道祖神
茅ヶ崎の出口の道祖神

小出川を渡って1km余り、
現在の相模川を渡る馬入橋の手前に道祖神がありました。
ここで茅ヶ崎市は終わりです。
すぐに平塚市ですが、宿場の江戸方見附までは2.5km程あります。

2008年6月 1日 21:47 | カテゴリー:東海道スタンプラリー